このページではJavaScriptを使用しています

TOP» 観光・みどころ» 自然» 赤子ヶ淵

南信州清内路の観光情報・みどころ

赤子ヶ淵

P1090253.jpg
悲しい民話を残す赤子ヶ淵。自然の作り出す豪快な水の流れは一見の価値があります。

【赤子ヶ淵にまつわる悲しい伝説】
天正10年2月(1585)織田信長は、宿敵甲斐の武田氏を討たんとして伊那谷へと侵略してきた。南端を守備する下条氏、小笠原氏は戦わずして投降し、武田方より加勢にきていた武士たちも高遠城へ逃げてしまったため、飯田城の人たちは大慌てだった。
飯田城主の坂西氏は、ひとまず木曽谷へ落ち延びて再起をはかろうと、わずかな手勢と夫人と幼児を伴って城を脱出した。しかし逃げる途中で敵の伏兵に襲われ、家臣の久保田・竹村の2人に幼児延千代を預け息絶えた。
延千代を預かった2人は、笠松峠を越して黒川を渡り、山路を南下したが青立ちの沢に迷い込んでしまい、牧立ちの平に出たときは日暮れ近くだった。ここからは道もよく、間もなく清内路の鳩打の道に出た。安心したのも束の間、峠のほうから敵方か人の声が聞こえてきた。それを追ってだと川端の岩陰に隠れた。けれどもその時には、若君延千代は空腹と背負われて山中をさまよっている内に虫の息となり、用意してきた薬を飲ませたがついに息が絶えてしまった。
十六代三百数十年続いた飯田城主坂西家も、はかなく滅亡してしまった。
その後、この辺りでいつも赤子の泣き声がすると言われ、誰となくここの淵を赤子ヶ淵と呼ぶようになった。
「赤子なる淵に散り込む紅つつじ昔語れば なみだ流るる」
P1090249.jpg

●住所・場所
阿智村清内路・石割

●アクセス
中央道・飯田ICより車40分 園原ICより車20分

●アクセスマップ

※場所は大まかな場所を示しております。お出かけの際は、お問い合わせの上お出かけください。
※場所が特定出来ないものなどは清内路役場を示しております。
※この地図は拡大や縮小、移動が可能です。
※ご利用環境によっては表示が困難な場合がございます。

地図を広げる

元に戻す

TOP» 観光・みどころ» 自然» 赤子ヶ淵

清内路からのお知らせ・行政情報

清内路の住民、Iターン者向け行政情報はこちら